雑誌「尖兵」(1945年1月~9月)は、重慶にあった国民党捕虜施設「自由村」にて発足した日本民主革命同志會(代表:大串勝利)による雑誌である。これまでに中国国家図書館所蔵の「尖兵」2号~9号(合冊)と、日本国内にて創刊号~3号、計9冊分の存在を確認したが、日本においては公的に保存されてはおらず、戦後80年間、眠っていた史料であるといえる。
「尖兵」の存在については、わずかに上海「大公報」記事(1945年4月9日)と、その記事を引いた菊池一隆『日本人反戦兵士と日中戦争—重慶国民政府地域の捕虜収容所と関連させて』(2003)による言及を認めるものの、上述のようにその存在が認められてこなかったために、内容や背景を探る動きは管見の限りないのが現状である。
本発表では、革命同志への檄文のほか、詩・舞台劇・小説といった文芸記事、捕虜になるまでの経歴を生かした、部隊や軍需工場の内部情報などの多彩な記事を紹介し、捕虜の自主性を広宣した「対敵宣伝」の一環として編まれた雑誌の存在意義の検討を行う。また、その内容から鹿地亘や青山和夫との関係、および「革命右派」組織として知られている日本民主革命同志會の実態を探りたい。なお、日本民主革命同志會の一部メンバーは、上海留用時代の堀田善衞の日記『堀田善衞 上海日記-滬上天下一九四五』(2008)に登場している。堀田との交流から、堀田の国民党時代の動きを探ることが出来る資料になりうると考えられる。
加えて、この雑誌には佐藤春夫名義の随筆「登山」が掲載されている。この文章が詩人・佐藤春夫本人のものであるかという検討も行い、その真偽を確かめたい。
以上のように雑誌「尖兵」を各方面から検討し、新資料としての価値を評価する。戦後80年において失われた歴史のありかを問いかけながら、捕虜たちの記録を追ってみたい。
北原白秋「文庫調」言説の特質と機能:同時代文語詩と比較しながら
岡山大学大学院社会文化科学研究科博士課程前期課程 中林 晃成
投書雑誌『少年園』、『少年文庫』を前身とし、多くの文学青年を育んだ文芸雑誌『文庫』(1895・8~1910・8)。北原白秋は『明治大正詩史概観』(『現代日本文学全集』第37篇、改造社、1929・4)「文庫調について」の項において「総じて七五の主調である。その調律は幾分固く整斉してゐて、節と節との連関が自然の流露といふよりは何かのおもひつきで転換する技巧的傾向があり、漢詩の絶句のやうでもある。内容の香気はやや俳趣を溶かした田園味が多く、時には感傷に稚く、誤れば古臭で常凡となる。近代の熱情と感覚とからは疎く、ハイカラではない」と述べている。
「文庫調」については『文庫』の代表的な作家である河井酔茗を含め多くの詩人・近代詩研究者が『文庫』の詩における特徴として言及するものの、同時代の文語詩と比較して性質を明らかにした先行研究は少ない。そのため、この比較を通じて「文庫調」言説を検証することで、多くの近代詩人を輩出した『文庫』の特質を確認し近代詩史に新たな視座を与えられるのではないだろうか。また私は文庫派の代表的な詩人であり度々高踏的と評される伊良子清白の詩風について調べることを最終的な研究目標としており、そのためには清白の主たる投稿誌である『文庫』の作風を確かめることで同時代の詩人や『文庫』の詩人にはない清白の詩の特徴を確かめられるのではないかと考える。
本発表では、まず白秋の「文庫調」言説を音韻・語彙・内容の3点から確認しつつ日夏耿之介・河井酔茗などの他の「文庫調」言説と比較し、『文庫』の代表的な詩人の詩と『文庫』に属さない同時代の文語詩を照らし合わせて「文庫調」の特質を明らかにする。次に「文庫調」言説がいつ始まり広まったのかについて、また他の詩派や詩壇において「文庫調」言説がどのような文脈で使用され機能していたのかを確認し、「文庫調」言説の特質と機能について考察したい。
安部公房『箱男』論:箱の物語と実存を巡って
神戸大学大学院人文学研究科研究員 長澤 拓哉
安部公房はその創作活動において、小説のみならず、テレビドラマ、ラジオドラマ、映画など多様な媒体で表現を展開した。なかでも戯曲・演劇は彼が特に力を注いだ分野であり、一九七三年には自ら主宰する「安部公房スタジオ」を設立している。同年に刊行された小説『箱男』(新潮社、1973)は、こうした複合的な芸術実践のなかで生まれた作品であり、「箱男」たちによる記述の主体をめぐる闘争を通して、「書くこと」および「語ること」の根源的意味を問う試みとして位置づけられる。
従来の研究では、平岡篤頼が指摘する〈記述についての記述〉というメタ構造の導入、渡辺広士による「書く主体・場所・対象」の三位一体的関係の分析など、本作を「書くこと」を主題化したメタフィクションとして読む立場が主流を占めてきた。また、真銅正宏やマーガレット・キーは箱男の匿名性と複数性を「読者」や「作者」の寓意として論じ、工藤智哉も作家の存在の前景化に言及している。一方で中野和典は、箱男=小説家とする隠喩的読解を批判しつつも、「書く行為自体を小説化する」という点に本作の特質を認めている。
他方、若林真や山川久三、松原新一らは学生運動や都市疎外の問題を背景とした同時代的読解を試みたが、日野啓三は安易な象徴的解釈を退け、安部の小説観そのものへの注目を促している。
以上のように、従来の研究はメタフィクション性や構造分析に傾き、「物語性の欠如」を強調してきた。しかし安部は『箱男』発表前年の講演「小説を生む発想――『箱男』について」(1972)で、主題やプロットを先に置く理解を批判し、「芸術の特別の性質」を読まれる過程で生成する主題と物語に見出している。本発表ではこの視点に立ち、「箱」という装置がいかにして「書くこと」を媒介し、物語を生成させていくのかを考察する。『箱男』を小説という媒体の在り方を安部が再定位した作品として捉え直し、そこにおける「語ること」の創造的契機を明らかにしたい。