第51回 阪神近代文学会 夏季大会

第51回 阪神近代文学会2016年度夏季大会

日時 2016年7月9日13時30分〜

場所 相愛大学・南港キャンパス(ニュートラムポートタウン東駅から徒歩3分)


開会の辞(13時30分)              相愛大学人文学部教授 鈴木徳男
研究発表 
 三島由紀夫と地下出版雑誌『奇譚クラブ』―『愛の処刑』と『憂国』の再考察として―
大阪大学大学院博士前期課程2年 朴秀浄

 小林秀雄私小説論」の論―「社会化した私」を中心に―
皇学館大学大学院博士前期課程2年 木村優

 画になる女と画を描く男―夏目漱石草枕』を視座として―
大阪大谷大学大学院博士後期課程2年 杏中得子

総  会 
閉会の辞                        武庫川女子大学 山本欣司
懇 親 会(18時〜) 酔虎伝 ポートタウン東駅前店 TEL06-6613-1161
会費5000円(院生・学生3000円)

※大会・懇親会の出欠を、同封のハガキにて 6月25日(土)までにお知らせ下さい。
※当日の午前10時30分より、運営委員会を3号館 3-135教室にて開催します。
尚、会議終了後の昼食は事務局が用意致します。
2016年6月吉日

♢♦『阪神近代文学研究18』(2017年5月発行予定)掲載論文を募集します♦♢希望される方は、論題ならびに400字程度の要旨を添えて、メールまたは郵便で事務局にお申し込み下さい。申し込み期限は12月末日、審査の上、掲載をお願いした際の原稿締め切りは2月末日です。ただし、原稿を頂いてから改稿等をお願いする場合があること、執筆者は20冊買取分として、15,000円をご負担頂きますこと、あらかじめご了承いただきますようお願い申し上げます。

〒663-8558兵庫県西宮市池開町6-46 武庫川女子大学文学部 山本欣司研究室内
阪神近代文学会事務局 ℡:0798-45-9032(研究室直通) kinji☆mukogawa-u.ac.jp(☆を@に変えてお送り下さい)。


発表要旨

三島由紀夫と地下出版雑誌『奇譚クラブ』―『愛の処刑』と『憂国』の再考察として―
大阪大学大学院博士前期課程2年 朴秀浄

 日本では戦後アンダーグラウンド文化と呼ばれる地下運動が盛んになり、カストリ雑誌に分類される性風俗雑誌の中、とくにアブノーマルと目される性愛を主題に置く雑誌が数多く創刊された。本発表で取り上げる『奇譚クラブ』(一九四七年十月創刊、一九七五年三月廃刊)もその一種であり、アンダーグラウンド文化としての性格を強調するために、ここでは地下出版雑誌と称する。
 三島由紀夫は『奇譚クラブ』の編集部を訪れるほど熱心な読者であったことが知られている。澁澤龍彥宛書簡(一九五九年六月五日付)を見ると、「大阪で出してゐる非公刊の「奇譚クラブ」といふ雑誌に、三年にわたり連載されてゐる「家畜人ヤプー」といふ小説を御存知ですか?」 とあり、三島は「家畜人ヤプー」が公刊される以前から雑誌を通じて読んでいたことが確認できる。注目すべきは、『奇譚クラブ』が切腹愛好家の交流場として機能したということである。他の地下出版雑誌に比べて『奇譚クラブ』は、切腹関連の記事や手記、告白文などの投稿が多く、また、読者通信欄があり、切腹に興味を持っている読者をつなぐ役割を果たした。三島も当時『奇譚クラブ』に記事を寄せた切腹研究家の中康弘通や、切腹愛好家の児島輝彦と交流したことが知られる。三島はこのような交流の最中に、切腹を真正面から扱う二作、『愛の処刑』(一九六〇年、『APPOLO』)と『憂国』(一九六一年、『小説中央公論』)を発表したため、これらの作品の成立に、『奇譚クラブ』が如何に関与しているかという問題が浮かび上がってくる。
 そこで、本発表では、三島における地下出版雑誌への興味を踏まえた上で、『愛の処刑』と『憂国』の成立段階に焦点を絞り、三島が地下出版雑誌に接触する中で踏襲し、作品に活かしている要素を追究する。とりわけ『愛の処刑』は、その媒体こそが地下出版雑誌であるため、両作品の相違点を分析することで、『愛の処刑』に反映されている地下出版雑誌の切腹記事の特性について考察したい。



小林秀雄私小説論」の論―「社会化した私」を中心に―
皇学館大学大学院博士前期課程2年 木村優

 小林秀雄の「私小説論」は昭和一〇年、『経済往来』に発表された。五月から八月までの四か月にわたる連載である。全四章から成り、それぞれの章に論点が散見される。
 はじめの章ではフランスの私小説と日本の私小説を比較し、日本の私小説の書き手が「新しい思想を技法のうちに解消」したことを指摘している。また、この章には「社会化した『私』」という誤解を生みやすい表現があり、これについては戦後、『近代文学』の同人たちの言及をはじめとして、多くの議論を呼んできた。続く二つ目の章では、マルクシズムが日本の私小説に表象した「個人の明瞭な顔立ち」を「抹殺」したことを述べている。そして三つ目の章では、ほぼ同時期に発表された横光利一の「純粋小説論」におけるジイド受容の態度を修正している。このことから「私小説論」は文芸時評の延長線上にあるものといえる。最後の章では転向の問題について触れている。これに加えて見逃せないのは、「私小説論」の次のような結びである。
私小説は滅びたが、人々は「私」を征服したろうか。私小説は又新しい形で現われて来るだろう。フロオベルの「マダム・ボヴァリイは私だ」という有名な図式が滅びないかぎりは。
 これら複数の論点から一つを抽出して個別に検討することがこれまで行われてきたが、このことによって一つの弊害が起きた。ある論点が、別の論点とどのように関わるのかが不明瞭なのである。本発表ではこれまでの縦割りの考察ではなく、それぞれの論点について相互の関わりを、「社会化した私」というキーワードを用いて明らかにしていきたい。



画になる女と画を描く男―夏目漱石草枕』を視座として―
大阪大谷大学大学院博士後期課程2年 杏中得子

 夏目漱石草枕』は、明治三十九年九月一日発行の雑誌『新小説』第十一年第九巻に掲載された中編小説である。漱石自身が「余が『草枕』」(『文章世界』一巻九号、明治三十九年十一月十五日)で「唯だ一種の感じ――美しい感じが読者の頭に残りさへすればよい」と述べているように、視点人物である画工の芸術観をはじめ「美しさ」が重要視されている作品である。
 『草枕』において語られる「美しさ」は、画工の「胸中の画面」の成就と深く結び付いていると考えられる。「胸中の画面」の成就――すなわち「画になる」というテーマは、「一夜」、『草枕』、『三四郎』と繰り返し用いられ、根幹は共通しているものの、作品への取り入れられ方は少しずつ変化している。『三四郎』をもってある種の完成をみると考えられるこのテーマを段階ごとに検討するのは、漱石の初期作品における「美しさ」を考える上で重要であろう。
 近年では「胸中の画面」の成就を「死を志向する女性」としての那美の救いと関連付けて解釈されるのが定説となりつつある。つまり、画工は那美の救済を望んでいることになる。しかし、那美自身の発言と画工の認識を整理していくと、相互理解が成り立っているとは言い難い。那美の「世の中は気の持ち様一つでどうでもなる」(第四章)や「何処に居ても呑気にしなくつちや、生きてゐる甲斐はない」(第十二章)という考えは、画工の「只、物は見様でどうでもなる」(第一章)と重なる。しかし、現実から「非人情」の旅として那古井へ逃避した画工と、那古井の里という「現実」を生きる那美の立場の違いは大きい。画工は那美自身を理解していくのではなく、那美との対話を通して主に自分自身の美学を再認識する過程となっていると考えられる。
 本発表では、「画になる」という表現を「一夜」『草枕』『三四郎』に共通するテーマと考え、今一度、那美と画工の関係を再検討した上で、『草枕』での位置づけを明らかにしたい。