第55回 阪神近代文学会2018年度夏季大会

■研究発表
安部公房『他人の顔』における都市の表象
神戸大学大学院博士前期課程 長澤 拓哉

 『他人の顔』は、雑誌『群像』に一九六四年に発表された長編小説である。一九六〇年代の安部公房は、「隣人を超えるもの」(『現代芸術と伝統』、一九六六)や「都市について」(『新潮』、一九六七)というエッセイに示されるように「都市」と「他人」という問題に大きな関心を寄せていた。安部は本作と『砂の女』(新潮社、一九六二)『燃えつきた地図』(新潮社、一九六六)の三作を合わせて「失踪三部作」と呼んでいるが、この「三部作」いずれにおいてもそれらの問題が作品の中心的な主題となっている。『砂の女』に代表されるように、一九六〇年代は安部の文学活動が最も隆盛を極めた時期であり、『他人の顔』を含むこれらの作品群は安部公房研究においても重要な意味を持つものである。
 本作は、実験中の事故で顔を失ってしまったことで他者との関係性が断たれたと感じている主人公が、他者の顔を型取った仮面を用いて妻と密通を行うことで関係性を回復しようとする物語である。題名にもなっている通り、本作における主題は「他人」(他者)の問題であり、先行研究でもその点が中心となって議論が進められてきた。
 本作における「他人」とは、現代の「都市」という空間における「他人」という存在である。したがって、本作における自己(=主人公)と他者という問題を考察するにあたっては、まずその存在の根幹を成すものである「都市」に関する議論が不可欠であるだろう。本発表では、そうした「他人」と主人公を取り巻いている物語空間である「都市」がどのように表象されているのかを、物語展開に即しながら各場面ごとに分析していく。その際に参照したいのが、川添登黒川紀章粟津潔らいわゆる「メタボリズム・グループ」を中心に展開された同時代の都市論的言説である。それらを踏まえつつ都市空間と作中人物たちとの関係性を検証することで、安部の中期の作品を貫く問題である「都市」と「他人」という主題が『他人の顔』にどのように示されているのかを考察する。


太宰治『新ハムレット』論 ―逍遥訳『ハムレット』を手掛かりに―
大阪工業大学非常勤講師 川那邉 依奈

 『新ハムレット』(1941年7月、文芸春秋社)は、太宰治の初めての書き下ろし長篇小説で、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の翻案作品である。本作は、発表当時からその賛否が大きく分かれ、多様な解釈が試みられてきた。鶴谷憲三氏は、研究史において重点が置かれてきたポイントとして、以下の4点を挙げている。第一は、原典であるシェイクスピアの『ハムレット』との比較を検証することによって、〈太宰化の過程〉(小田島雄志「新ハムレツト」『国文学』1967 年 11 月)を考察する試みである。第二は、時代性、つまり発表された昭和 16 年という年の時流に力点を置く立場。第三は、これまでの文学性をふまえた太宰の〈私小説〉性に力点を置く立場。第四は、同じく『ハムレット』に材を得た、志賀直哉「クローディアスの日記」(『白樺』1912 年9月)、小林秀雄「おふえりや遺文」(『改造』1931 年 11 月)といった先行作品に対する文学者としての意識を問題にする立場である。近年の研究では、同時代の言説空間のなかで『新ハムレット』が持ち得た、歴史的な批評性について、明らかにされつつある。松本和也氏は、鶴谷氏による整理を提示した上で、第二の歴史的な〈文脈〉として、戦時下の青年をめぐる言説を取り上げ、『新ハムレット』の〈青年〉と、同時代の青年論とに通底するものを見出している。
 本発表では、『新ハムレット』の執筆資料とされる、坪内逍遥訳『新修シェークスピヤ全集 第 27 巻 ハムレット』(1933年9月、中央公論社)をひとつの手掛かりに、翻案の手法という視座から、作品テクストの再読を試みたい。逍遥訳『ハムレット』は、明治期の文芸協会での上演を見据えて、西洋の古典演劇である『ハムレット』を、日本の伝統的な演劇形式の「歌舞伎調」で翻訳したもので、文芸作品としての独創性や魅力を備えている。その意味では、単なる執筆資料にとどまらず、創作の源泉として、翻案作品としての『新ハムレット』の位相をさぐる上で重要な手掛かりとなり得ると考える。


坂口安吾における「説話」―「桜の森の満開の下」を中心に―
神戸大学大学院博士前期課程 河内 美帆

 いわゆる「新戯作派」の作家の一人である坂口安吾には、福田恆存が「説話形式」と呼んだ一群の小説がある。「閑山」(『文体』38・2)、「紫大納言」(『文体』39・2)、「桜の森の満開の下」(『肉体』47・6)といった作品がそれである。安吾には、「かげろう談義」(『文体』39・1)や「文学のふるさと」(『現代文学』41・7)等のエッセイからもうかがえるとおり、『竹取物語』・『赤ずきん』・『伊勢物語』等の古典・民話作品に関心を寄せていた時期がある。安吾のそうした興味が小説分野において結実したのが、「説話形式」の諸作品だった。
 この「説話形式」という通称は、和田博文の見解に代表されるように、一般的には既存の「説話」の要素が作品内に取り入れられていることに発している。だが、安吾の「説話形式」と呼ばれる諸作品を見渡したときに顕在化するのは、表面上の「説話」的要素というよりもむしろ、時代の文脈の問題であろう。たとえば「閑山」・「紫大納言」が発表された時期も、日本を取り巻く情勢が激しく揺らいでいたころであった。
 古典作品に向けられた安吾の興味を示す随筆類は戦前・戦中に集中しており、その後はあまり見られなくなる。しかし、「説話形式」の作品は、安吾がそうした関心を表明しなくなった後、一九四七年六月といういまだ敗戦の記憶の鮮明な時期に、「桜の森の満開の下」として回帰してくるのである。安吾における「説話形式」の小説と、それらの作品の背景をなす時代状況の変化との間には、いかなる関係が取り結ばれているのだろうか。安吾の「説話」は、いかに時代に対峙しているのだろうか。
 本発表では、「桜の森の満開の下」が前作までの「説話形式」の試みをどのように引き継ぎ、また捨象して立ち現れてきたのかについて検討し、本作が持つ射程を考察する。これによって、従来は小説分析の一視座として用いられてきた坂口安吾における「説話」という概念を位置づけ直すことを試みる。


■講演
谷崎潤一郎と検閲 ―自筆資料から見る「谷崎源氏」「細雪」「A夫人の手紙」―
京都精華大学 西野 厚志

 2015・2016年、谷崎潤一郎は没後50年・生誕130年をむかえた。その約半世紀にもわたる文学活動は、戦前に取り組んだ「源氏物語」現代語訳の難航、代表作「細雪」に対する軍部の介入による連載中止、戦後第一作「A夫人の手紙」の占領軍による掲載禁止など、言論統制との衝突・折衝の連続でもあった。「谷崎源氏」編集者宛書簡や「細雪」自筆原稿、「A夫人の手紙」原資料(執筆時に谷崎が参考にした夫人宛ての友人の手紙)から、多様な時代状況や言説編成との対話(同調・反発)の中で継続された谷崎の文学的営為の意義について考察する。