内山完造作品研究 内山完造の「生ける」中国観

内山完造作品研究 内山完造の「生ける」中国観
   関西学院大学大学院博士後期課程 呂慧君

 文筆家、日中友好活動家の内山完造(一八八五〜一九五九)は、岡山県後月郡吉井村に生まれた。一九一二年にキリスト教に入信し、その翌年に京都 教会の牧野牧師の紹介をきっかけに、目薬の会社参天堂の海外出張員として上海へ渡ることになった。後に一九一七年に開いた内山書店が日中文化交流 の窓口として名声を馳せている。

 内山完造は、上海に三十五年近く滞在したことによって、自らの鋭い観察力と経験を通じながら、中国人を理解した立場に立ち、日中文化の研究に相 当価値のある十六冊の随筆集を書き(他人編集のものを含め)、自叙伝の『花甲録』も残した。これに限らず、彼は魯迅谷崎潤一郎など日中の文学 者、知識人と親交を結んだほかに、上海で精力的に「文芸漫談会」などのさまざまな文化活動を展開し、帰国後も二千回に達した講演を行い、日中友好 活動に身を投げ続けていた。

 本発表では、まず、最初に出された、「文芸漫談会」の結晶とも言える『生ける支那の姿』(学藝書院、1935年)をはじめとして、従来の支那研 究家ら(後藤朝太郎、井上紅梅など)の「文章文化」と違い、内山の作品から読み取られる日中文化、社会、国民性、風俗、習慣などの面における「生 活文化」の特徴を今までの研究から一歩踏み出して、新たな角度で検討していき、真の中国を日本人に伝えた歴史的な位相を明らかにしようとする。

 また、その独特な中国観が形成された原因と彼の中国体験との関わりを解明したいと思う。

 更に、当時上海東亜同文書院の教授であった小竹文夫は、同じく上海に何十年も滞在し、中国社会に入り込んだ文人である。彼が中国の風土、人情、 文化から支那社会の本質をとらえた本『上海三十年』(弘文堂、1948年)と比較し、内山の独特な中国観をさらに深く掘り下げたい。