第48回阪神近代文学会 2014年度冬季大会のご案内

第48回 阪神近代文学
      二〇一四年度冬季大会のご案内

・日時 二〇一四年一二月二〇日(土) 一三時三〇分〜
・会場 関西大学千里山キャンパス(大阪府吹田市山手町三―三―三五) 尚文館五〇一教室
        □阪急「関大前」駅北側改札口より徒歩約五分

・運営委員会  (一〇時四五分〜) (運営委員のみ)「チルコロ」(新関西大学会館南棟四階)
・開会あいさつ(一三時三〇分〜)              関西大学   関肇
・研究発表                             尚文館五〇一教室

 1 安部公房「魔法のチョーク」論 ―「イヴ」の誕生と役割
関西大学大学院博士後期課程   顧キエン

   2 『草枕』論 ―画工の中の那美さんと水死のイメージを中心に―
関西学院大学大学院博士後期課程   田中みどり

      休憩
・講演
  
   大阪の文学雑誌
関西大学名誉教授   浦西和彦

・総会    (十六時四五分〜 )
・閉会あいさつ(一七時一五分〜 )                関西大学  増田周子
・懇親会 チルコロ(一七時三〇分〜) 会費四〇〇〇円(大学院生・学生 三〇〇〇円)

※大会ならびに懇親会の出欠を、同封のハガキにて 一二月一二日(金) までにお知らせ下さい。
※当日の午前一〇時四五分より、運営委員会をチルコロ(新関西大学会館南棟 四階)にて開催致します。尚、会議終了後の昼食は事務局で用意いたします。
※二〇一五年に発行予定の『阪神近代文学研究16』の掲載論文を募集致します。希望される方は、四〇〇字程度の要旨を添えて、郵便もしくはメールでお申し込みください。こちらの申し込み期限は 一二月末日 、掲載をお願いした際の原稿締め切りは 二月二八日 です。ただし原稿を頂いてから改稿をお願いする場合等もあること、執筆者は二十冊買取分として一万五千円をご負担頂きますこと、あらかじめご了承いただきますようお願いいたします。
  二〇一四年一一月
〒564−8680  吹田市山手町三丁目三番三五号
関西大学文学部 増田周子研究室内
阪神近代文学会事務局 
                              〇六(六三六八)〇四二五http://d.hatena.ne.jp/hanshinkindai/
nrb49634@nifty.com

【発表要旨】

安部公房「魔法のチョーク」論 ―「イヴ」の誕生と役割
関西大学大学院博士後期課程  顧キエン

「魔法のチョーク」は、安部公房が昭和二十五年十二月の『人間』で発表した短編小説である。その内容は、壁に描かれるものを実物にするチョークを手に入れたアルゴン君が自ら部屋に閉じこもって世界をつくり、最後に自分のつくった「イヴ」に世界を破壊されるというものである。
本論文では、「イヴ」がアルゴン君の創造物でありながら、アルゴン君に反発し、最終的に創造の失敗をもたらした理由を解明することを目的とする。そのために「イヴ」の誕生の背後にあるもの、及び「イヴ」の存在がアルゴン君の創造における役割を分析する。新しい世界の創造を実現するためにアルゴン君が「イヴ」をつくった。「イヴ」をつくる時、アルゴン君がそれまでの挫折を経て創造における責任とオリジナルの重要性を理解した。しかし「イヴ」をつくって協力してもらうということが同時に責任逃避を意味する。また「イヴ」がもとの現実世界に存在する「ミス・ニッポン」をモデルにつくられたためオリジナルな存在とは言えない。この二つの矛盾を「イヴ」をつくる際にアルゴン君が既に認識した。「イヴ」がアルゴン君の創造物として、二つの矛盾がその言動に反映されている。アルゴン君と「イヴ」の対話が実際は自分と自分の対話でもある。「イヴ」が世界を破壊したのはその対話を通してアルゴン君自身が出した結論であるというのが本論の主張である。





草枕』論 ―画工の中の那美さんと水死のイメージを中心に―
関西学院大学大学院博士後期課程  田中みどり
 
本発表では夏目漱石草枕』を、画工の<非人情>意識から作られた視点から見てゆく。名もない画工が那古井を訪れ、情景や人物を観察する中でも、特に那美さんについては物語が進むにしたがって詳らかになる。彼女には水と死のイメージが出会いの前から出来上がっており、画工の中でそのイメージがどのように変遷し収束してゆくかを取り扱う。本発表では画工の<非人情>という視点を前提として進める。漱石の前期作品の特色として、主人公が日常とは異なった土地へ赴き観察者となる点が挙げられる。そのため、画工の観点に着目したい。またその中で、水と死についてのイメージは作中を通して描かれ次第に変じてゆく観察対象であり、注目すべき箇所であるといえるだろう。
 那古井に赴く画工はその道中(第一章)で、登りながら<非人情>というまなざしを固定することを決める。それ以降、物語を通して画工の視点は揺らぐことはなかった。那美さんの情報と実像は、滞在途中に交互に集まってくる。村人からの噂話と、画工が接する那美さんの像とに触れて画工は第三者として観察する<非人情>のふるいをかけながら彼の見た那美さん像を形成してゆく。
 那美さんと水のイメージのつながりは早くに茶屋の場面(第二章)にてもたれている。直接的に那美さんが水に浮かぶ情報ではなかったものの、話の中に紛れ込む形で画工はそのイメージを得た。それ以降、画工は水に浮くことについて美を見出そうとする。それが彼自身の体験を通し、「風流な土左衛門」(第七章)を描いてみたいという気持ちになってあらわれる。鏡が池・川下りという動かない水と流れる水の観察を経て、画工は結末部で胸中に画を完成させるに至った。
 最終的に「画になる」ことで、画工はそこに那美さんのしがらみからの一瞬の脱却と解放をとらえる。画の胸中での完成は<非人情>によってイメージから解放されることを意味するのである。






【講演要旨】
大阪の文学雑誌
 関西大学名誉教授  浦西和彦

大阪からどういう雑誌が刊行されていたのか。昨年二月に増田周子、荒井真理亜と共同で『大阪文芸雑誌総覧』を刊行した。そこで取り上げられている雑誌は大阪で刊行された雑誌のごく一部であつて、まだ調べなければならぬ雑誌が多くある。こんな雑誌が存在したということさえ知らぬままに過ごして来たというようなことが我々にはある。いま手元に『大阪商事新聞』第二十九号(明治32年8月5日発行) がある。新聞でなく、表紙に<森乃下露>と記された雑誌であって、この二十九号には広津柳浪「三重襷」、江見水蔭「荒磯物語」、宇田川文海「みめより」、江見水蔭「片瀬の少年」の四篇の小説が掲載されている。日本近代文学館編『日本近代文学大事典』第5巻<新聞・雑誌>には事典項目として採用されていない。しかし、この『大阪商事新聞』は三十号までは出されたは確実であって、幸田露伴尾崎紅葉や渡辺霞亭なども執筆しているようだ。その全容を知りたいと思う。だが、残念なことには、大阪という土地柄は雑誌を文化遺産として大事に保存し、後世の人々に伝えて行くという意識が育たなかった。雑誌は読み捨ての消耗品として図書館などでは取り扱われた。その為、大阪で刊行された雑誌類はことごとく散逸してしまっている。大阪でどういう雑誌が発行されていたのか。その雑誌名さえ分からなく消え去っているものも多く有る。不幸な事である。しかし、歎いていてもしかたがない。
戦時下に織田作之助等か発行した『大阪文学』も、大阪から発行されたためであろうか、前述の日本近代文学館編『日本近代文学大事典』第5巻<新聞・雑誌>でも無視され、事典項目として記載されることがなかった。復刻されてもよいだけの内容をそなえている雑誌の一つであろう。この『大阪文学』という雑誌を中心にして大阪の文芸雑誌について述べたいと思う。