第49回 阪神近代文学会 2015年度夏季大会のご案内

第49回 阪神近代文学

      2015年度夏季大会のご案内


・日時 2015年7月11日(土) 13時30分〜

・会場 大阪府立大学中百舌鳥キャンパス(大阪府堺市中区学園町1番1号) 

    A15棟101番教室

・運営委員会  (10時45分〜)       (運営委員のみ)A15棟130番教室

・開会あいさつ(13時30分〜)  大阪府立大学人間社会学研究科長  山崎正

・研究発表                           A15棟101番教室

   1 「変格探偵小説」に描かれた異様な犯罪動機に対する一考察

大阪府立大学博士前期課程修了 フリーライター 原田洋将


   2 芥川龍之介「湖南の扇」論 ―中国体験との関連の視点から―

関西学院大学大学院博士課程後期課程二年 周芷冰


      休憩

・講演

  

   金時鐘を「世界文学」として読む可能性

大阪府立大学大学院教授 細見和之


・総会    (16時45分〜 )

・閉会あいさつ(17時15分〜 )               関西大学  増田周子

・懇親会 グリル屋KUTTA(18時〜)会費六千円(大学院生・学生四千円)


※大会ならびに懇親会の出欠を、同封のハガキにて 6月25日(木) までにお知らせ下さい。

※当日の午前10時45分より、運営委員会をA15棟130番教室にて開催致します。尚、会議終了後の昼食は事務局で用意いたします。

※2016年に発行予定の『阪神近代文学研究17』の掲載論文を募集致します。希望される方は、400字程度の要旨を添えて、郵便もしくはメールでお申し込みください。こちらの申し込み期限は 12月末日 、掲載をお願いした際の原稿締め切りは 2月28日 です。ただし原稿を頂いてから改稿をお願いする場合等もあること、執筆者は20冊買取分として1万5000円をご負担頂きますこと、あらかじめご了承いただきますようお願いいたします。

  2015年5月


〒564−8680  吹田市山手町三丁目三番三五号

関西大学文学部 増田周子研究室内

阪神近代文学会事務局 

                              06(6368)0425http://d.hatena.ne.jp/hanshinkindai/

nrb49634@nifty.com


【発表要旨】


「変格探偵小説」に描かれた異様な犯罪動機に対する一考察

大阪府立大学博士前期課程修了 フリーライター 原田洋将


日本における創作探偵小説の流行は、専門誌『新青年』の台頭と、江戸川乱歩をはじめとする有力作家の登場に牽引されるようにしておこった。だが、その流行の内には、従来の愛好家によって「探偵小説」と考えられていたものの埒外の小説、すなわち、理知による観察や謎解きを一切伴わず、殺人をはじめとする「犯罪」や、「怪奇趣味」「幻想趣味」に対する興味のみを原動力として書かれた作品が多数存在していたこともまた、事実である。

当時の探偵小説文壇を席巻したこれらの作品群は、平林初之輔によって「不健全派」と呼ばれ、それを引き継ぐ形で、甲賀三郎によって「変格探偵小説」の名を付けられるに至ったが、この名称からも察せられる通り、その過剰な流行に対しては警戒の色を示す意見が少なくなかった。特に、平林が「探偵小説壇の諸傾向」(『新青年』大正十五年二月号)にてこの種の小説のはらむ問題を「尋常な現実の世界からロマンスを探るだけでは満足しないで、まず異常な世界を構成して、そこに物語を発展させようとする」一方で「この怪奇な、ポッシブルではあってもプロバブルでない世界の構成が、少しでも拙劣だと、作品の存在理由がよほど希薄になる」と指摘したのは、まさに正鵠を射た意見であったと言えよう。

このような「不健全派」「変格探偵小説」と呼ばれた作品が過度に流行し享受された基盤として、作家はもちろん、当時の読者の間にも一定の興味・嗜好が共有されていたであろうことは疑えない。そこで今回の発表では、当時の探偵小説作家にとって主たる発表の舞台であった『新青年』をはじめとする各雑誌に注目し、そこにあらわれたメディアとしての特徴を分析する。さらに、江戸川乱歩をはじめとする「変格探偵小説」流行の旗手とみなされた作家の作品のうち、犯罪がテーマの中心となっているものを取り上げ、そこに描かれた「犯罪動機」という視点から雑誌メディアと小説の接点を明らかにする。

このような過程を経ることによって、当時の作家が平林の指摘したような「変格探偵小説」の問題点を克服するべく、どのような試みを行ってきたか、明らかにしていくことが今回の発表の主たる目的である。




芥川龍之介「湖南の扇」論 ―中国体験との関連の視点から―

関西学院大学大学院博士課程後期課程二年 周 芷冰


「湖南の扇」は大正十五年一月の雑誌『中央公論』に発表された芥川龍之介の短篇小説である。作品は、かつて中国の湖南へ旅をした日本人の「僕」が、長沙で遭遇した出来事を回想の形で語るものであるが、そこには、大正十年に大阪毎日新聞社の命により中国の各地を遍歴した際に芥川が実際に目にした死刑執行や、女学生の排日運動などが「湖南の扇」には色濃い影を落としていると考えられる。

中国体験を基にした紀行文『支那游記』では、芥川はしばしば同時代の作家の作品を引きあいに出し、自己の中国認識と比較している。彼らの作品に描かれている幻想的なエキゾティシズムに溢れている中国に対して、芥川は中国を内憂外患が絶えない国として捉えている。そして、そのような状況にある中国に未だに幻影を抱いている日本人、いわゆる『支那游記』に記述されている「浅薄なる支那趣味」、「甘い中国観」を持っている人々を辛辣に批判していた。

「湖南の扇」の主人公「僕」は、最初「水色の夏衣裳」を着て、「半開きの扇をかざしていた」芸者含芳や、「土匪の斬罪」のような猟奇的なものに興味を示している。つまり「僕」も『支那游記』に非難されている「浅薄なる支那趣味」の惝怳者の一人とは言えるだろう。女学校の排日の空気に不快を覚えた「僕」は、愛人の血が滲み込んだビスケットを食べた芸者玉蘭の「負けぬ気の強い」姿に驚いた。無気味な人血ビスケットの話が「情熱に富む」玉蘭の行為によって作り換えられた。含芳の耐え忍ぶ姿を目にし、玉蘭の情熱を感じた「僕」は、異国情緒のみではなく、湖南地方の民の生命力をも発見できた。そこに、『支那游記』を纏めた、晩年の芥川の、中国の未来に対する期待とそのエネルギーへの憧憬が窺えるだろう。

「湖南の扇」が発表された大正末期の頃、日本の出版社から次々と日本人文学者の中国遊記などの中国関連の書物が刊行された。その中で、特に、「湖南の扇」の創作にも影響を与えた佐藤春夫の一連の中国物に注目しておきたい。彼の中国物には、「湖南の扇」と同じように中国民衆の生命力がしばしば描写されている。同時代の二人の作家の中国体験や、中国物における作風の類似点を検討してみたい。

本発表では、中国旅行から四年余り経っている時期に、芥川はなぜ「湖南の扇」を創作したのか、そして、作中に書かれている湖南地方の民の「負けぬ気」の強さ、中国民衆の生命力と芥川の中国体験との関連性を検証してみたい。


【講演要旨】


金時鐘を「世界文学」として読む可能性

大阪府立大学大学院教授 細見和之


21世紀に入って「世界文学World Literature」ということがしばしば語られるようになりました。とくに現在ハーヴァード大学のデイヴィッド・ダムロッシュDavid Damrosch教授が「世界文学」をめぐって精力的な仕事をされています。2011年には『世界文学とは何か?』というダムロッシュ教授の大部な著作の日本語訳も刊行されました。そのなかでダムロッシュ教授は彼の考える「世界文学」の特徴をおよそ以下のように述べています。

(1)世界文学とは、諸国民文学を楕円状に屈折させたものである。

(2)世界文学とは、翻訳をとおして豊かになる作品である。

(3)世界文学とは、正典(カノン)のテクスト一式ではなく、一つの読みのモード、すなわち自分がいまいる場所と時間を越えた世界に、一定の距離をとりつつ対峙するという方法である。

なるほどと啓発されるところは多いのですが、彼が実際に編集した全6巻からなる『世界文学アンソロジー』に収録されている、原作が日本語で書かれた作品が『源氏物語』と村上春樹さんの短編「TVピープル」と知ると、いささか違和感を禁じることができません。もちろん、どちらも優れた文学であることに疑いはありませんが、あえてこのふたつを「世界文学」と呼ぶことにどのような意味があるのでしょうか? 私はこれに対して、以下の視点で、金時鐘さんの文学を私なりの「世界文学」として読み解くことを試みたいと思います。

(1)世界文学とは、国民文学を脱構築するものである。

(2)世界文学とは、自らの表現言語それ自体への違和を内在させたものである。

(3)世界文学とは、固有の日付から書かれるとともに、その日付の困難な共有を読者とともに果たそうと試みるものである。