『李陵』論

『李陵』論
   大阪大谷大学大学院博士後期課程  金蓮花

 中島敦の代表作として評価されている『李陵』は、昭和十八年七月に「文学界」に発表された作品である。『李陵』における主人公は、李陵と司馬遷二人であると思われる。今回の発表では、李陵と司馬遷二人の深い苦悩の根源である「武名」と「士の像」をめぐって論じたい。
 李陵と司馬遷は「武名」、「士の像」という外在のものを追求する典型的な儒教的な人物である。苛刻な運命の中、力強く雄々しく生き延びた「生」であるが、同時に、運命に突き落とされた消極的な万やむをえない、深い苦悩を伴った「生」である。二人のその消極的な「生」及び深い苦悩の根源は、すべて失った「武名」、「士の像」にある。
 一、李陵の「武名」による深い苦悩
 飛将軍と呼ばれた祖父の名声を強く自負する李陵は、軍旅の輜重の役を断り、自ら孤立無援で無謀な任務を願った。これは武帝の悩みの種である匈奴と交戦し大功を立て、武名を挙げ、衰えた李氏一族の名誉を回復する所以である。ところで、「路は窮絶して矢刃摧き、士衆滅びて名は已に憤る。老母已に死し、恩に報いんと欲すると雖も将に安かに帰せん」と歌ったように、地位も名誉も失った。
 李陵は果たせなかった「武名」に深い苦悩を抱きつつ、遂に「武名」から解放されないまま胡地で一生を送った。
 二、司馬遷の「士の像」による深い苦悩
 司馬遷は「士の像」、「男」に拘る人物である。「男を無くす」宮刑に処せられた後、「我なし」の書写機械になった。唯、修史の故に死ななかった。釈然として生き延びたものではない。生きているが「死んでいる」も同然である。本当の「男」というのは、「男の身」がすべてではなく、恥辱に耐えて生き延びることも「男」である。しかし、「自分は誰よりも男だ」と信じた司馬遷は、「自分は真の男である」ことに気付かなかった。それが、「外形の男」に拘泥する所以であろう。結局、李陵と同じく自分の運命に流され、「士の像」から解放されなかった。かえって、一切の外形的な「名」に求めることなく無欲に純粋に生きる蘇武こそ、運命の主宰者であり、「人定ず天に勝つ」という論理の具現者であろう。