鴎外『舞姫』論

鴎外『舞姫』論
   近代文芸研究者  上野芳喜

 ドイツ留学帰朝後、早くも痛切なる青春の挫折を味わった鴎外は無論豊太郎ではない。この時鴎外が味わった傷心の慟哭は豊太郎の「腸九廻の恨」の表現意識につながっていった事は間違いない。ドイツで味わった「市民的自由」を断念せざるを得ない状況の中で近代化の推進を使命とする明治日本の青年官僚の精神の典型を描き出す鴎外の運命こそ近代の逆説の体現という近代日本固有の悲劇的縮図であったといえるだろう。
 作品冒頭には、既に見切りがあり、《自由と美》への断念があった。語り手は、還東の旅の寂蓼と憂鬱に向き合い、「人知らぬ恨」の沈痛さの余り、錯誤を犯す。傷心の回想の中で、父不在の生い立ちが語られる。『舞姫』は父不在の下で成長した豊太郎が同じく父を亡くしたエリスを救い、彼女のお腹の子に父のない子という宿命を負わせた因縁の物語と言えるだろう。
 留学の地ベルリンで豊太郎は西欧文明の新しい価値観に出会い、「まことの我」に目覚め、現在までの自己の生と官長への批判の目を向ける。それは「弱くふびんなる心」という本性の自覚でもあった。かくして可憐の美少女エリスと出会い、「人を愛さぬことが罪ではない」倫理的基盤の中で豊太郎は愛するが故に破局へと追い込まれ、「無量の難難」を閲することとなる。「憂きがなかにも楽しき」エリスとの生活の中でも憂愁の思いは晴れることはなかった。
 〈望郷栄達の思い〉と〈エリスへの愛〉ー豊太郎の弱性はどちらをも選択し得ない所に彼の《愛の実相》がある。「あはれなる狂女の胎内」に子を遺したまま、罪の意識と癒し得ぬ痛恨の思いを抱え豊太郎は帰国の船上にある。「人を愛する事が罪ともなる」倫理的基盤の中で愛ゆえに受難を蒙らざるを得なかった明治の青年官僚と貧しくも健気な外つ国の舞姫との「許されぬ宿命の愛」こそ作品『舞姫』の「愛のかたち」だったのである。