近代黎明期の文学空間の一考察―『芳譚雑誌』という場―

神戸大学大学院博士後期課程    魯恵英

文学通史から曲亭馬琴の読本や為永春水人情本などは江戸文学の最後に位置し、坪内逍遥の『小説神髄』『当世書生気質』や二葉亭四迷の『小説総論』は近代文学の出発点として紹介される。両者の断絶によりその狭間に位置する文学は文学史における市民権を未だに得ていない。
 明治十一年七月創刊し明治十七年十月終刊となった『芳譚雑誌』は『人情雑誌』『歌舞伎新報』とともに日本近代黎明期における純粋小説及び戯曲派の文学空間として当時戯作派の為永派と柳亭派が中心になった明治初期文壇人の活躍の場であった。創刊当初は諸府県下の新聞報道を摘載し公益に役立つ忠信孝貞の珍談奇談を紹介すると表明していたが、間もなくして「芳譚余情」「梅柳新話」のような続き物の創作物も掲載され読まれていた。しかしその続き物の取材が仇討や御家騒動によるものが多いため封建的空間の再現であるという限界も述べられてきた。柳田泉氏や西田長寿氏が指摘したとおり、この雑誌で掲載された文章からは権力に対する批判や合理的な人間関係の創出など明治戯作の新しさを見出すことが出来る。特に第三世柳亭種彦こと高畠藍泉仮名垣魯文、中坂まときの文章は時代批判的な傾向をみせる。一方藍泉の「文明(ぶんめい)開化(かいくわ)ハ小説安(せうせつあん)を害(がい)す」(百三十七号)、魯文の「稗史年代記魯生が夢の記」(三百六一号〜三百七八号)といった文芸評論も登場する。また明治期の戯作を語るに際して欠かせない作家、魯文と藍泉の分業が同時進行的に行われた空間として認識する時、この雑誌の持つ文学史的位置はより浮上してくるのだ。彼等の言説を出来るだけ拾いそれを考察することによって創造期の近代文学が持つ時代性を照らし直すのが本研究の主な目的である。