西南戦争期の言語状況

西南戦争期の言語状況
   神戸大学大学院博士課程 松原真

 従来、国内最大にして最後の士族反乱である明治十年の西南戦争は、新聞購読者数の飛躍的増加と、正確な報道を目指す機関への成長という点において、近代的ジャーナリズムの発展に大きく関与したと言われている。最大の立役者は、実際に戦地に赴き「戦地採録」を書き綴った「東京日日新聞主筆、福地源一郎であろう。実際、彼は正確な報道であることを認められ、明治天皇に謁見し戦地の状況を報告するという、当時としては異例の栄誉を得ている。しかし、その報道が本当に正確であったかは疑問が残ろう。西南戦争期、明治政府は風聞の新聞掲載を禁止し、事前検閲を行い、自身にとって不利な情報が公になることを抑圧した。福地源一郎の「戦地採録」は、明治政府のそのような言論統制の下で正確であることを保証されたわけである。福地はまた、西南戦争も終盤、「新聞紙ノ悪徳ヲ論ズ」と題された社説を「東京日日新聞」に発表している。この社説は、他人の醜聞を書き立てる新聞紙の非倫理性を批判し、明治八年に公布された言論統制法令、讒謗律を擁護したものであり、おそらく仮名垣魯文主筆小新聞「かなよみ」を具体的な攻撃対象の一つとしていた。実際、「かなよみ」はこの社説に対し反論を展開している。本発表では、この論争を一つの手懸かりとし、西南戦争期の言語状況が内包する文学史的問題について考察したい。