夏目漱石「三四郎」論  <迷える羊>への自覚

夏目漱石三四郎」論  <迷える羊>への自覚
   関西大学大学院博士後期課程3年  岡本直茂

 この発表は、「夏目漱石三四郎」論ー〈迷える羊〉への自覚」と題し、「三四郎」をそれ以降の作品につながる人生の複雑な問題、時代への批判精神を持ちつつも、青年三四郎が、都会の現実に目覚めて成長し、〈迷える羊〉の自覚を持つに至る、本質的に明るい青春小説としての性格を持った作品として論じているものであり、えてして、「三四郎」に晦渋な人生哲学書として読むような見方に批判を加えるものでもある。
 第一節では、「〈現実世界の稲妻〉汽車の女との出会いと水蜜桃の男」と題して、九州の田舎上がりの青年三四郎が〈汽車の女〉、〈水蜜桃の男〉と接触し、都会の現実世界の複雑さ、田舎の青年からしてみれば不思議さを体験し認識していく過程をたどり、いかにして三四郎が都会社会の衝撃を受けたかを見て行く。
 第二節は「第二の世界の役割」と題して、〈水蜜桃の男〉こと広田先生などの「第二の世界」、知識人層との出会いを通して、三四郎が東京を中心とした当時の最先端の人間の問題意識に触れて行くことを述べる。なかでも佐々木与次郎の存在に作品の狂言回しとして独自のはたらきを見出し、ユーモアを交えた交流のなかにある浅からぬ意味を見出すことに力を入れた。ここで述べられる内容については、先行研究でもあまり類を見ないものであると思う。
 第三節は「美禰子との恋愛「〈迷える羊〉への自覚」の儀式として」と題して、三四郎が美禰子との恋愛を通して、いよいよ〈迷える羊〉としての自覚を持つに至る経緯をたどる。第二節で知的にとらえられた作品の問題点が、三四郎の実体験を通して身にしみるものとなっていく。その経緯を〈儀式〉として捉え、そこに大人へと覚醒する三四郎があり、作品の主題があると見るのである。
 この発表は、長谷川泉らの青春小説としての見方に近づきつつ、論者なりの視点を交えたものとして展開したものである。