鴎外『阿部一族』論

鴎外『阿部一族』論
   近代文芸研究者  上野芳喜

 島原の乱を経て、徳川封建体制の確立期への移行という状況の変化の中で武士社会のあり方も戦国武士の遺風を残しつつ官僚制社会へと移行し、武士のあり方も変質しつつあった。「興津」に見られた封建君主への主命絶対観は君主との対立、葛藤の下に否定され、武士道倫理の忠誠の観念は形骸化を免れぬ状況となっていた。その矛盾を殉死問題はそのまま反映し、殉死当事者も藩主も悩ましい問題として抱えていた。それは忠利にとっては殉死を許す心理にその虚妄性が自覚され、光尚にとっては林外記という佞臣を通して「しなくてもよい」「上の処置」の問題という形で己の未熟さを露呈した。従って「権力と個我の対立相克の問題」は表層に過ぎず、権力の構造をも動かしめる人為を越えた非情な力の存在が目に見えぬ世界として感じられる。「興津」に見られた功利主義の否定という主題は本作に於いては殉死当事者の心理の内に主家の優待、跡目相続の安堵という他律性、商腹という功利性の浸入によって否定され、殉死の虚妄性を明らかにしている。
 いわば歴史の必然として藩主代替わりに於ける光尚寵臣団対先代遺臣団との角逐、運命と政治のドラマの様相を呈しているのであるが、阿部一族の滅亡はこのような時代の転換期のなかで起こった抵抗の劇であり、滅びざるを得ない運命の中で最後まで「死を怖れぬ念は微塵もない」見事な武士としての「意気地」を貫かんとする抵抗の精神こそ「意地」だったのである。
 滅びることが問題なのではない。自らを滅びに追いやる人為を越えた非情なものに対して、死=滅びしか選択の余地のない状況の中でどのような態度をもって死に臨み得るか、そこに彼らの自律と貫くべき「意気地」が「意地」として無言の主張をなしているのである。