金時鐘『日本風土記』論 〈残存〉する記憶

金時鐘『日本風土記』論 〈残存〉する記憶
   大阪府立大学大学院博士後期課程  浅見洋子

 金時鐘は、植民地下に教え込まれた日本語を表現手段とする〈在日〉の詩人である。
 日本による同化教育によって皇国少年として育った金時鐘は、解放後は反動的に社会主義運動へ傾倒するというねじれを体験している。さらに朝鮮半島分断に抵抗する民衆蜂起とそれにともなう大虐殺事件、済州島四・三事件に関わり、追われる身となって日本へと密航してきた。金時鐘の紡ぎ出す日本語には、常にこうした自身の体験や民族固有の記憶が明滅しており、独特の屈折した文体を形成している。
 本発表の分析対象である『日本風土記』は、一九五七年一一月、国文社より刊行された。金時鐘は、第一詩集『地平線』(一九五五年一二月、ヂンダレ発行所)でその関心を「朝鮮人的体臭」から「日本的現実」へと移行させていったが、第二詩集となる『日本風土記』ではさらに〈在日〉を表現の足場として主題化していった。北か南かという二者択一の中で不断に選択を迫られる状況にあって、金時鐘はあえて〈在日〉という「はざま」に生きることで、分断された祖国を「朝鮮」という統一体として見通す表現の場をつかんでいった。しかしそれは、一九五五年の路線転換以降、祖国志向を強めていた共和国系の在日朝鮮人運動組織との激しい対立を生み出すことになる。
 朝鮮戦争を経た一九五〇年代、アメリカの世界覇権、日本の軍備増強、祖国の分断対立という状況のもと、金時鐘はその痛みを全身に背負いつつ、日常の何気ない光景を通してその痛みを記していった。特に同時代の生き難さ、息苦しさを体現するために『日本風土記』で選び取られたのは、身近な「生き物」というモチーフである。そして金時鐘は、「生き物」の世界と「人間」の世界を同時に描き、両者の間を自由に往還することで、抑圧に対抗しうる独自の時間と空間を形作っていった。
 本発表では、それぞれの詩の歴史的背景を確認しながら、時代と詩の言葉が反発し融合している様子をとらえることによって、金時鐘の日本語の生成のプロセスと〈在日〉論の展開について考察したい。