太宰治『竹青』論

太宰治『竹青』論
   大阪大谷大学大学院博士後期課程  金蓮花

 日本の作家・太宰治が、中国の清代の作家・蒲松齢の『聊斎志異』「竹青」を原素材に、同名の翻案小説を創作したことは、よく知られている。太宰の創作は、原素材を踏まえながら、原素材から脱した、香り高い作品を我々読者の前に示しているが、本発表は、両作品の違いを考えながら、主人公・魚容の性格を中心に「面目」の視点から論じたものである。
 第一節では、太宰が原素材に無い「悪妻」・「伯父」という人間を新たに創造し、更に、「二度も落第」をした魚容を創造した意図に注目し、気が弱いけれども、「面目欲」だけは強い人間像を創造することを意図したのではないか、ということを論じる。
第二節では、「面目主義者」である魚容にとって、人間界の「故郷にだけ人生がある」とされるのは、女主人公・竹青と関わる世界では人間の魚容の「最高の幸福」及び「終極の勝利」が実現できないからである、ということを論じる。
 第三節では、魚容が神の試験にも落第したとされる点に関して、それは、魚容は「人間界」を忘れなかったというより、寧ろ自分の「最高の幸福」・「終極の勝利」が忘却できなかったからである、ということを論じる。
 第四節では、以下のようなことを論じて、一応の結論とする。作品の結末は一見「幸福に終わる」ようであるが、自分の「面目」を立てるための「最高の幸福」・「終極の勝利」が実現しないまま、貧困で「極めて平凡な一田夫として俗塵に埋も」れてしまった、という設定になっているのは、この小説は「幸福劇」ではなく、結局、魚容が自分の運命に「妥協」し、挑戦しなかったことは、魚容の「弱さ」をさらけ出したことを示している。この結末は、いかにも太宰らしく、太宰の人格的「弱さ」を表していると思われる。