泉鏡花戯曲の方法

泉鏡花戯曲の方法
   神戸大学大学院博士課程  安藤香苗

 明治・大正・昭和と比較的長期にわたって多くの作品を発表し続けた泉鏡花の作家生活のなかで明治末期から大正期にかけては、戯曲という形式にこだわった時期であるとも言えるだろう。しかし小説「婦系図」を中心に新派によって舞台化され好評を博すものの、〈戯曲〉として発表された作品は必ずしも鏡花存命のうちに実際に上演されるものばかりではなかった。後の一九八〇年代前後の幻想文学ブームで「夜叉ヶ池」や 「天守物語」といった作品が再び注目を集めるまで、鏡花の戯曲のいくつかは上演台本としてではなく〈読まれる〉作品として存在していた。また戯曲の本文自体も、同じルビに異なる漢字をあてるなどテクストを視覚的に確認することを前提にしていると思われる表現方法が採られており、このことからも鏡花戯曲は二次的に舞台を目にする観客よりも一時的にテクストを目にし音読する読者(そこには舞台関係者も含まれる)により強い意識を向けた仕上がりになっていることがわかる。
 従来、設定や構成等から劇的空間を創り上げる上での鏡花作品と演劇・映画との親和性は指摘されてきたが、戯曲の文体そのものに対する考察は少ない。そこで本発表では戯曲という形式が浮き彫りにする泉鏡花の文体意識に着目し、当時議論されていた演劇の方法論との関係性や鏡花作品における戯曲と小説との相関関係を考察することで、鏡花がおこなってきた文体上の模索の一環として戯曲執筆期を捉えなおしてみたい。
 戯曲という形式は、小説における時空感覚を形作る際に重要な役割を果たす〈地の文〉を排除することによって成立する。鏡花作品における語りの問題を考える上でも戯曲の分析はその端緒となるだろう。